ウタマロの歴史

[ ウタマロのひみつ ]

第二次世界大戦前、宮井慶太郎〈宮井産商(株) 初代社長〉は和歌山で傘を売っていました。
終戦後、宮井は和歌山より東京へ出て京花紙(今のティッシュペーパー、化粧紙)の販売を始めます。日本版画が好きだった宮井は「広重」の商標で京花紙を販売。また、それを半分折にし20〜40枚単位でポリ袋に入れた「歌麿」も販売し、「歌麿」はヒット商品となりました。

宮井は「歌麿」ブランドのさらなる商品展開を目指し、洗濯石けんに目をつけました。なぜなら、昭和22(1947)年当時石けんは統制品で、粗悪なヤミ石けんが横行しており、良質な洗濯石けんを販売すれば必ずやヒットするという確信があったからです。
宮井は質の良い洗濯石けんを求めて日本全国の石けんメーカーを調べ上げ、ついに東邦油脂(株)〈現 (株)東邦〉にたどりつきました。

東邦油脂(株) は、戦前より化粧石けんも含む石けんメーカーで、当時西日本を中心に「千両」ブランドとして良質な洗濯石けんを製造販売していました。
東邦油脂(株) 初代社長西本辰蔵は、頑固で腕利きの石けん職人、二代目西本久雄は大阪市立工業研究所の研究員育ちで、品質重視の石けんを作っていました。三代目現社長西本博は機械好きで、イタリア、マッツォーニ社製乾燥機と最新連続中和法による石けん製造装置を導入、より高品質の石けん製造法を確立しました。

「歌麿」ブランドを持つ宮井産商(株) との出会いによって、昭和32(1957)年「ウタマロマホー」石けん(以下「ウタマロ」)が誕生。「ウタマロ」は、関東以北が商圏の京花紙「歌麿」販売ルートで販売され人気を得ていきます。

発売から41年経った平成10(1998)年、バブル崩壊と紙販売の競争激化により宮井産商(株) は廃業に追い込まれてしまいます。当時年間300万個が売れていた「ウタマロ」もそれによって存続の危機に立たされることになりました。しかし、愛用者の多い「ウタマロ」を販売中止にさせてはいけないと、(株)東邦は宮井産商(株) と交渉。石けんの「ウタマロ・ブランド」を引き継ぎ、今日まで製造販売を続けることとなったのです。
また、これを契機に「ウタマロ」は西日本でも販売されるようになります。

基本となる天然原料の石けんベースは開発当時のままですが、お客様のニーズに合った改良を重ね現在に至っています。

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石鹸はウタマロ?

コメント日時: 2008年03月06日 16:37 投稿者: おたに

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